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【寛容になるコツは異文化理解にあり】異文化コミュニケーションについて解説

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目次

異文化コミュニケーションとは?

「異文化コミュニケーション」という言葉をご存じでしょうか?

アメリカの文化人類学者であるエドワード・T・ホールが「異文化コミュニケ―ション」の先駆けとなったのですが、そういうジャンルがあるくらい、文化や価値観の違いはコミュニケーションや相互関係に影響を与えるほど重要なのです。

どれが良い/悪い、正しい/間違いということではなく、違いとして理解して受け入れる姿勢が大事になってきます。

余談ですが、私が以前、赤飯にごま塩をかけないで食べていると、親戚の一人が「えぇ~!?なんでかけないの?ごま塩かけた方が絶対美味しいのに~!」と、なんだかこちらがおかしいように言われたことがあります。

そんなに大問題なのか、絶対とはどういう根拠か。

自分の基準から外れるとこちらが非常識とでも言わんばかりに驚きとなぜを表現してくる人がいますが、これも異文化ではないかと思い出しました。

理解しておくことでその国の人と関わったときに「あーそういうことか」と納得できたり、すんなりコミュニケーションが取れるかもしれません。

第二次世界大戦後にミクロネシア文化の研究を行い、社会学、言語学、動物行動学にも関心をもち、幅広い研究活動をおこなった。著書『沈黙のことば』では「ボディー・ランゲージ」の概念を提唱した[4]

また、世界の文化を「高コンテクスト(コンテキスト)」と「低コンテクスト」とに分類して、中国(当時)、日本、アラブ諸国、ギリシャ、スペインなどはコンテクスト依存が高く、ジャーマン・スイス(スイスのドイツ語圏)、ドイツ、スカンジナビア諸国、アメリカ、フランスが低いと論じた。(高・低文脈文化を参照

近接学英語版[5]を提唱し、対人距離を論じた。時間感覚、時間意識についても「ポリクロニック」(polychronic)と「モノクロニック」(monochronic)な文化に分けた。』

エドワード・T・ホール – Wikipediaより引用、一部抜粋

エドワード・T・ホール氏は、後でご紹介しますが、世界の文化について①「対人距離」や②「ハイ(高)コンテキスト)」と「ロー(低)コンテキスト」という概念、③時間についての捉え方、④ボディー・ランゲージについて、とても興味深い研究や提唱をしました。

文化というと、「オリエント文化」「宮廷文化」「大衆文化」「元禄文化」など、大きいひとかたまりで国単位のもののように聞こえるかもしれませんが、同じ国籍、日本人同士、アジア人同士などでも違いはあるものです。なので、異文化理解は国際的に活躍しようとしている人に限らず、日本国内で生活するにも必要なことなのです。

家庭もその家庭の中の文化・価値観、会社のその会社、部署、所属組織の中の文化・価値観に影響を受けながら順応していく必要があります。必ずしも国の違いだけで見るわけではなく、性別や年齢差、血液型、個人差などでの違いがあることにも留意します。

ただ、やはり顕著に違いが出るのは国別で見たときが多いので、一つずつ、エドワード・T・ホール氏の概念を見ていきます。

①対人距離

英語でパーソナルスペースといいます。コロナ禍で「ソーシャルディスタンス」という言葉がよく聞かれましたがそちらの方が馴染みがあるかもしれません。ちなみに、パーソナルスペース(ディスタンス)は45~122㎝の距離範囲、ソーシャルディスタンスは122~366㎝の距離範囲で、後者の方が離れています。距離感についての指摘をコロナ禍という理由で取り沙汰されるのも皮肉な話ですが・・・その何十年も前からパーソナルスペースという、距離感の話は出ているのです。

人は、他人にここから先は近づかれると嫌だなという範囲があります。

その範囲は個人差がありますが、相手との親密度、関係性によって距離も変わってきます。

対人距離は全部で4つのゾーンに分けられます。

近い順から、

【密接距離(0~45㎝)】:ごく親しい間柄(親と子供(幼児)、恋人同士など)に許される距離。非常に距離が近いのでつぶやく程度の不明瞭な言葉でも相手に通じたり、感情表現するには適しています。ただ、理論的な話をするときには不向きです。

【個体距離(45㎝~122㎝)】:友達とプライベートな会話をするような時に適した、手を伸ばせば届くくらいの距離。密接距離よりは離れているものの、二人でのやりとりが多く、他者が入り込みづらい雰囲気を作ります。親しい人との会話なので口調はです・ます調より「~ね」「~よ」「~っけ」などの終助詞などが使われます。リラックスした状態で思いついたまま会話がなされるため、会話が自然に複雑に長くなったりします。

【社会距離(122㎝~366㎝)】:商談やミーティングの際やテーブルで友達3~4人ほどで会話する時などに用いられる距離。個体距離よりも遠いため、発話の際の声も大きく高めになります。理論的な話をするのに近すぎず遠すぎず、ちょうどいい距離感となります。

【公共距離(366㎝~762㎝)】:授業中の教師と生徒の間の距離、講義・講演の際の話し手と聞き手の距離。個人的な関わりというよりは理性的な関係が築けます。

親密であるほど距離は近くても平気、つまり、心理的距離=対人距離ということになります。いきなり見ず知らずの他人が50センチくらいの至近距離にいたら恐怖ですからね。

満員電車やバス、人混みなどは、この適切な距離感を無視して詰め込まれるわけなので、不快感を感じます。

かといって公共機関などで一人ひとりに合ったパーソナルスペースを確保するのも実現は難しいというのが現実です。

また、アラブ系の人は私たち日本人やアメリカ人より特に個体距離が近いと言われています。近づかれた我々は不快感を感じ、近づかないとマイナスに取るアラブ系の人という構図ができてしまわぬように相互理解と許容が必要だと思っています。

②ハイコンテキスト/ローコンテキスト

【ハイコンテキスト】:話の内容よりもどのように話したか(背景情報や状況)が重要

【ローコンテキスト】:どのように言ったか(背景情報や状況)よりも話の内容を重視

言わなくても察して(ハイコンテキスト)と言ってくれなきゃ分からない(ローコンテキスト)の違い。曖昧とはっきりといったところでしょうか。相互理解がなければ誤解や衝突、トラブルを招くもととなり得ます。

例えば、

A:「(深いため息をつき)今、私たちの部屋を掃除していたんだけど、捨てる捨てないを仕分けるだけで一日もかかったよ。掃除機かけるところまでいかなかった」

B:「そんなに!?次々物を買い過ぎじゃない?」

A:「うーん、そう言われちゃ敵わないけど・・・片付けて掃除しないといざという時に必要なものをパッと出せないじゃない?明後日は消防点検の人が入ってくるし、今日明日でなんとかしないと!(手伝ってよ)」

B:「そうなんだ、頑張って(マメだなぁ)」

Aさんはハイコンテキストスタイル、Bさんはローコンテキストスタイルでした。

Aさんは部屋の片づけ掃除をBさんに手伝ってほしくて話をしましたが、Bさんには伝わらずに「なんで分かってくれないの?」とストレスに終わってしまいました。

なぜBさんにAさんの気持ちが伝わらなかったのか?

はい、実際にはっきりと「手伝ってほしい」と話していませんね。ため息をついたり、どれだけ大変かを伝える・・・回りくどいようですがこれがハイコンテキストスタイルによく見られる「言わなくても察して」という表現なのです。

逆に、Bさんが伝える時には言葉にそのまま直に表現するのでわかりやすいのですが、ハイコンテキストに慣れているAさんには強く言われたように受け取ったり、必要以上の解釈をして傷つく可能性があります。

仕事の進め方の価値観にも違いがあります。報連相しながら進めていくのを良しとする日本と、いちいち報連相は必要なく自分で考えて遂行・完結することを求めるアメリカと大きなギャップがあります。

③時間の概念

時間の概念、意識には主に2つの種類があります。

【M(モノクロニック)時間】:主に米国や北欧等に多く、時間を無駄にせず、課題への取り組みや時間の厳守が重んじられる

【P(ポリクロニックタイム)時間】:ラテンアメリカや中東、南ヨーロッパなどに多く、時間で動くスケジュール感よりも人間関係が重視される

日本はというと、内輪の人とはP時間(人間関係重視)で、外部の人とはM時間(時間厳守)の感覚でと使い分けていると言われています。

数時間単位で遅れるのが当たり前な国があれば、日本のように時間に厳格で、電車が分単位遅れるだけでも不安になり焦るという時間観念、意識の差があります。

旅行に行くときや関わる機会がある時は、きっと「旅行者だから」とか、「知らないから仕方ない」と寛容に受け入れてくれると思いますが、その国、土地のマナーや文化、背景を理解して行くことがその国・国民への敬意を払うことになります。

④ボディランゲージ

身振り手振り、目つきや顔の表情など、身体の動作を使って自分の感情や意思を伝える、コミュニケーション(非言語コミュニケーションhttps://sensaikousatu.com/the-importance-and-effects-of-nonverbal-communication/)の手段の一つです。感情や意思表現の他に、自己演出の役割も持ちます。ですが、全世界共通の意味ではないことが多々あり、また、無意識のうちにやっていることもあり、誤解や衝突の種となり得ますので、使う時はくれぐれも注意しましょう。

【肩をすくめる】

欧米などではこれに両方の手のひらを上に向けて、「よく分からない」「驚き」「諦め」などの意味を表します。日本だとあまり使っている人を見ませんが、何かに対してびっくりした時に反射的に肩をすくめる人は見たことがあります。

【アイコンタクト】

日本では、叱られている時に叱っている人の目をじっと見るよりは、申し訳ない気持ちで頭を下げて謝意を示すことが多いですが、逆に、叱られている時に相手の目をしっかり見て誠意を示すことがマナーとする文化の国からすると、相手の目を見ないことは“反省していないな”と思われてしまいます。

ちなみに欧米では赤ちゃんとのコミュニケーションを図る時は、抱っこよりもアイコンタクトを重視していると言われています。

中国やカンボジア、ベトナムなどのアジア圏がアイコンタクトにネガティブな印象を持ち否定的で、アメリカやイギリス、フランスなどの欧米諸国がアイコンタクトに積極的で肯定的な傾向があります。

【笑う時に手で口を隠す】

日本人女性に多いしぐさの一つではないでしょうか。

口元を隠すことは平安時代の貴族女性が扇で顔を隠すことから始まったと言われており、大口を開けて笑うことで白粉が取れてしまったり、そもそもそのしぐさが下品といったことから隠して控えめに笑っていたようです。欧米人は基本、口を隠して笑うことはせず、口を開いて堂々と笑うので、彼らからしたら、“なぜ口を隠して笑うの?”と疑問を持ってしまいます。なかには不快に思う人もいたりするので、癖がある人は気を付けたいところです。

感情を読み取る時に日本人は「目」から、欧米人は「口」から読み取ると言われているため、その「口」を見せなくすることで欧米人からしたら余計「感情が読み取りにくい」と困惑させてしまうおそれがあります。

【手のひらを下に向けて振る】

日本では「おいで」という意味の、相手を手招きして呼ぶ動作ですが、アメリカでは「あっちへ行け、シッシッ」というニュアンスになります。アメリカ版「おいで」は手のひらを上にして振る、つまり日本版の逆になります。手のひらの代わりに人差し指を使う場合もあります。

【親指を立てる(サムズアップ)】

SNSや絵文字などでよくある「いいね」サイン、あるいは、ヒッチハイクやタクシーなどの車を止める際に使われることがありますが、中南米や中東、西アフリカでは侮辱のサインとして受け取られることが多く、ギリシャや一部のイタリア、アジア圏などでもネガティブな意味にとられることがあります。そんな中でよくSNSが繁栄したなぁと思っていますが・・・

その他

1.感情表現の誤解

相手に悲しみを悟られないように、心配をさせないようにあえて笑ったり明るく取り繕うところが、海外の人から見たら「辛いこと、嫌な事なのになぜそんな風に話せるのか?」という不信感、疑問に思われることがあります。東洋の人は嬉しい、楽しい、喜び以外に相手への配慮にもほほ笑みを使うことがあります。ほほ笑みの意味が違うのです。また、喜怒哀楽の感情の表現が欧米では豊かでストレートに、日本では控えめな傾向があり、よく指摘される大きな違いの一つです。

2.謝る文化

例えば、待ち合わせで相手の方が先に待ち合わせ場所にいたら、相手にどう話しかけるでしょうか。

「ごめーん、待った~?」でしょうか。

アメリカでは「待っててくれてありがとう」という人の方が断然多く、遅れた場合はなぜ遅れたのか理由をしっかり説明して自分を正当化しようとするそうです。

相手が何かをしてくれた時、「ごめんね、~までしてくれて」などと謝っていませんか?

謝らなくていい場面まで謝ってばかりいると、自分を卑下していると思われてしまう可能性があります。

3.褒める/褒められることに対して

テレビ番組などで、日本に滞在中の海外の人のインタビューやコメントを聞いてみると、褒めなれているのか、褒め方が本当に上手くて、それも本心から話しているのが感じられて素晴らしいなと見るたび思います。そして、日本人より日本文化に熱心で詳しい(笑 彼らからコメントや褒め方を学ばせていただいています。

逆に褒められた時も日本人特有の「謙遜」が発揮されて「いえいえそんな」「たいしたことじゃないですよ」とか、照れ隠しで「そんな褒めたってなにも出ないわよ」とか言ってしまいがちですが、褒めた側は褒めたことを否定されたと思ってしまうかもしれませんし、せっかく褒めてくれたのですから素直に「あなたにそう言ってもらえてすごく嬉しい」と言った方が気分がいいものです。

4.リアクション

例えば、手品をして失敗した時、日本ではシラケて居たたまれない空気になりがちだけど、海外では失敗さえもエンターテイメントの一つとして明るく受け取ってくれるそうです。言語の性格も関係していると個人的に思います。「Wow!(⤴)」「Hi!(⤴)」など、英語はイントネーション、抑揚がはっきりしています。対して日本語「うわ!(→!)」「こんにちは(→)」は抑揚があまりない言語です。アメリカ人が日本語をしゃべる時、決まって日本語にはないイントネーション付きの日本語になっていることが多いです。そんな背景もあってリアクションする時も薄めの表現になってしまうのかなと思います。

意思表示という点で、率直な意見が飛び交うのが当たり前の欧米(反論=あくまでその人の“意見”への反論)があれば、日本のように反論はしない方が美徳の国、(反論=敵、その人自身への批判と受け止めてしまう、意見を言っても本音ではなかったり)とで開きがあります。

対応の方法

違いを把握したところで、ではどのように対応したらいいのか?

異文化などで相手との間に誤解や摩擦が生じたときには『D.I.E.メソッド』を使うのがおすすめです。

私たちは、相手の言動の中で自分の中の常識から外れることがあると、「何この人、非常識ね!」などと思ってしまったりします。これは頭の中で、心の中で何が起こっているかというと、「割り込みされた」→「割り込みはマナー違反」→「それを平気でするなんて信じられない!」など感情も入り混じって自分の基準からはみ出た相手の言動をジャッジするのです。

ですが「D.I.E.メソッド」では、

Description(描写)】:起こったこと、事実を客観的に描写(感情や主観を入れない)

Interpretation(解釈)】:事実に対するお互いの解釈

Evaluetion(評価)】:その解釈に対してのお互いの評価

例を使って確認していきます。

例)あなたは夫(妻)から調べものを依頼されていました。しかし、あなたは緊急なものではないと判断し、いずれやろうとそのまま放置して1週間経ったころ、夫(妻)から「依頼してたのどうだった?」と進捗を聞かれました。黙っていると、「なんで黙っているの?」と言われ、さらに困ってしまいました。

このようにI(描写)を主軸に双方のI(解釈、捉え方)とE(評価、判断)を視覚化すると、どこで誤解や摩擦が生じているのかが分かりやすくなります。

相手方のIやEは想像力を働かせて書くか、分からなければ直接相手に謙虚な気持ちで聞いてみるといいでしょう。

注意点は、D(描写)の書き方です。この例でいうと、「黙っていたら「なんで黙ってるの?」と怒られた」と書きそうですが、実際怒っているかどうか分からない場合があるため、客観的に「聞かれた」という表現をします。

意外と客観的に書いているようで決めつけや主観が入ってしまうことがあるので本当にそうか?根拠はあるか?見直し考えます。

まとめ

異文化を知れば知るほど、日本に限り通用する観念に固執しているから悩み、神経質になっていることに気づいたりします。

もちろん、日本で暮らす以上は日本の考え方や文化に順応していくことも必要ですが、合わせていくことが苦痛であっても必要以上に悩むこともないということです。そこにそぐわないと自分はダメなんだとかネガティブに思う必要はなく、世界は日本だけではない、もっと広くて多様であることに気づけば心の余裕ができたり気も楽になるでしょう。

異文化を理解して違う文化・価値観の人と接するときだけでもその違いに配慮する。ステップアップできたら、違いを楽しめるところまでいくといいですね。

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この記事を書いた人

HSP/INTPで日々葛藤、模索しながら生きています。福祉の職場で向かない仕事をしながら傍らでブログを始めたところです。当事者だから書けること、これから色々とアップしていく予定です。
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